セントーリー

特徴

セントーリーは、たいへんお人好しでへりくだった態度をとり、人に徹底的に利用されてしまう人のためのフラワーエッセンスです。

 

セラピーの対象となる基本的症状

人格も生命力も弱く、自己主張する力に欠ける。自分を卑下し人に隷属する態度。自主性の欠如。周囲を気づかって私欲を抑える。自己否定。自己放棄。

 

身体的症状

不健全な温厚さやへりくだった態度を伴う症状。また、それが原因で引き起こされた身体的症状のすべて。

 

日常的に現れる症状

内気。不自然な温厚さ。極端に譲歩しやすい態度。

 

セントーリー症候群の起源と病像

セントーリー素質は、人並み以上の献身的態度と際立つ利他主義にあります。

セントーリーの素質がバランス良く伸ばされると、この素質を強く持っている人はたいへん愛他心が強く、柔和で共感能力の高い人物に成長するでしょう。このタイプの人は、周囲の人が気分良く過ごしているかどうかを敏感に感じ取り、自分の健康状態もそれに左右されるので、人を助けようとしたり、人に役立つよう常に心がけています。こうした態度は、いい意味での【無私】の精神に支えられ、もくろみがなく無理がないので、人々の大きな支えになるでしょう。しかも、自分本来の献身的な素質や使命に従って自己実現しているため、自分自身にも良い影響を与えることになります。自己実現するということは、生まれ持った素質と可能性を最大限に伸ばすことを意味し、満足を感じられる喜びに満ちた人生のための前提条件と考えることができるからです。従って、このタイプの人たちは人々に奉仕しますが、人の言いなりになっているわけではなく、人を助ける行為を通して、自分自身をも支えていることになります。ごく自然に、開放的な仕方で人々を助けるので、人望はますます厚くなるに違いありません。

 

セントーリーの効果が発揮される領域

セントーリーは自己放棄と必要以上に自分を断念する傾向にある人のためのエッセンスで、人格を強化し、自分の意識、独自の価値観、自分で決めた人生を送る権利を持とうとする態度を支援します。自主性に欠け、内気で、あまりにも温厚な人、特にそうした素質の子供に効果があり、自分の居場所を社会の中に見つけ出し、主張することができるよう助けます。家族療法において、このフラワーエッセンスは依存や利用の関係を改善するためによく使われます。また、セントーリーは、中性的性格の子供の性的発育を促進したり、卑下した態度をとり、かつ脊柱に障害のある人を元気づけ、背筋を伸ばす効果があります。

 

心理療法のための覚え書き

セントーリータイプの自然な献身的態度は、私欲のなさと一体になっているので、自己中心的な人々が突き付けてくる要求に逆らうのは本人とっては気が重い話でしょう。一度も【NO】と言ったことのないひともこのタイプに属します。あらゆるものを手に入れたいと思っている欲張りな人にとって、このタイプはおいしい餌食なのです。

特に敏感で愛他的な子供は自己中心的で横暴な両親や教育者に、望みを持つこと、表現することを許されない奴隷のような扱いを受けていることが多く、生きていくために、どんなときも服従し、彼らの要求を献身的に満たそうとして、自分の要求には構わない態度を身につけていきます。独自の人格を発展させることができないので、こうした態度が、結局のところ大人になっても引き継がれ、第二の人格となってしまいます。新しい環境も彼らにチャンスを与えることはないでしょう。なぜなら、どの人間関係も最終的には自分が変わらない限り、不幸な親子関係と同じ力関係へと発展していくからです。フロイト派の精神療法医であるヴィルヘルム・ライヒは【I Ging】のなかで次のように書いています。【精神を崩壊させる人に、誠実さで対処するのは危険だ―  善人にも、危険な人は近づいてくるものなのである。危険な人と関わるならば、その破壊的な影響力はゆっくりとではあるが確実に広がり、後でそうした影響力によって、様々な危険を必ず引き寄せることになるだろう】私たちが身につけている否定的な癖はどれも同じ程度に否定的で、しかもそれとは正反対な態度を相手から呼び覚ましてしまいます。驚いたことにこの法則はみたところ模範的なセントーリーの態度にもあてはまります。餌食が恐れるのをみて欲望をむきだしにする猛獣と同じように、不自然でおどおどした従順な態度は、それに対応する非常に抑制のきかない横暴さを、その傾向のあるひとから誘発してしまうからです。セントーリー・タイプと関わると人は全く自動的に温厚な従順さを親切な態度を期待し、彼らにやりたいことや必要なことがあったとしても、それを優先することはまずないだろうと考えてしまうのです。

 

このタイプにとって決定的に重要なのは、自分の内面が発育不全で歪んでいるということを認識することです。現在の態度は人が要求したものであって、高尚な道徳の表現でも、自分自身がそう信じたいと思っているようなものでもなく、単なる緊急措置、人格が抑圧された不健全な態度が表面化したものでしかないのです。おまけに、思慮なく人に要求する傾向を相手から引き出してしまう好ましくない態度でもあります。自分の足で人生を歩む権利があることを知り、思いやりや温和さといった本来の素質が示しているものを実現するためにはまずこのタイプの人たちが健全な【自己中心性】に基づいた損なわれていない全体像を取り戻し、そこから行動する必要があることを理解しなければならないでしょう。

 

このタイプが再び自己を取り戻し、人から強制や原理・原則に屈服することなく、自分独自の道徳に従って生きるとき初めて、自分がどのように行動する必要があるのかはっきり自覚できるようになるでしょう。人がどれほど苦しがっていたとしても、その人の要求をこの拒まざるを得ない場合もあるでしょうし、自分の権利や楽しみを諦め、私欲を捨てて助けを必要とするひとを援助する場合もあるでしょう。

自分の道を歩み始めてみてわかることは、自分自身に対する責任は負う必要があっても、この世に対する責任をすべて負う必要なないということです。人は【内なる声に招かれたらそれに従う】だけでよいのです。私たちが内なる喜びにあふれた自己実現を意味しているのです。