ホリー

特徴

ホリーは、不機嫌な人、あるいは攻撃的な攻撃的な態度をとる人のためのフラワーエッセンスです。

セラピーの対象となる基本的症状

攻撃的。胆汁質、多血質な性格。思いやりの欠如。否定的、破滅的な考え方。暴力的行為。復讐心。

身体的症状

怒りや攻撃性を伴う症状。また、そのような精神状態によって生じた身体的症状のすべて。

日常的に現れる症状

不機嫌。怒りっぽい。激しい怒り。無愛想。妬み。憎しみ。不信感。嫉妬。

ホリー症候群の起源と病像

ホリーの素質は、強い生命力、動物的感覚に根ざした自己防衛的態度にあります。

ホリーの素質がバランス良く伸ばされると、

こうした素質を強く持っている人は、自己実現の機会が妨げられそうになっても、意気揚々と苦境に立ち向かい、必要とあれば相手と渡り合うような人物となるでしょう。このタイプは開放的で曲がったところがなく、下心がまったくありません。攻撃を受けたらその場で反応するので(攻撃性が抑圧された結果として生じる)憎しみの感情が内にこもることもなく、”他意のない”素直な態度で自己主張するので、周囲にわかりやすい人物と映るでしょう。このタイプのひとたちにはよこしまな態度が通用しないため、陰険さや二枚舌による不正行為とも無縁です。従って攻撃性は彼らにとって積極的な価値をもっているのです。このタイプは自己犠牲を払ってでも不正に真っ向に立ち向かう、正義溢れる闘志タイプと言えるでしょう。

心理療法のための覚え書き

攻撃性とはそれなしに生命を維持していけないような、ある自然現象のことをいいます。生命は成長、発展、自己実現の表現であり、他の存在を犠牲にすることなく維持することができません。細胞は大きくなるために他の細胞を、植物は生長するために他の植物を、動物は増殖するために他の動物を、民族は繁栄するために他の民族を絶え間なく攻撃します。つまり、自分の生存を維持するには、他の栄養、生活圏、生命を奪う必要があるのです。地上で自由に生活できる空間には制限があり、生活圏を必要とするもの、欲求を満たしたいものは、みな戦う運命にあります。生存競争は、ある生物にとって”食うか食われるか”を意味していますが、生活圏全体は、まさにその生存競争によって維持されています。

生活圏と資源に限界がある限り、自分の所有物、社会的地位をなにひとつ失いたくないと願う人々が必ずいるものです。実は、そうした自然な願望には、また欲しくないという願望が含まれています。こうした態度に反感を感じる人は多いはずですが、そのような人たちも同じ立場にたてば同じことを考えるのではないでしょうか。ではいったい、どちらの立場が正しいというのでしょう?これについては、様々な視点から討論し、考えることができますが、生命そのものの立場からすれば、反論の余地なく答えることができます。生命は、それを持続するために必要なもの、栄養や安全、を緊急な場合は攻撃し、他の存在を犠牲にしてでも満たすよう、私たちに強制する立場をとるからです。(こうした考え方は、もちろん基本的な生命の維持が問題になった場合にのみ当てはまります。豊かさの一部を分け与える態度もまた、自然の法則だからです。木々は、たわわに実った果実を分け与え、水は尽きることなく泉から湧き出てきます。人間の場合も、物質的、精神ー霊的な面において十分満たされていると感じられれば、隣人に自分の一部をごく自然に分け与えることができるからです。)

力強さ、大胆さ、自信があれば、人は攻撃性を素直に表現することができます。ところが攻撃性をその場その場で発散してこなかった人は、内面が過剰に抑圧され、きっかけさえつかめば(もちろん、自分に害の及ばないような場合に限られていますが)八つ当たり、妬み、怒りっぽさ、激しい怒り、恨み、復讐心、不信感などの形で攻撃性を表出することになります。このような状態・・・ホリー症候群に陥ると、感情を自由に操ることができなくなり、例外な場合はあるものの、ふつう感情を制御しようとしても、怒りを消して好意的に振舞ったり、憎しみを愛情に変えて、嫉妬心を手放したりすることはできません。

ホリー症候群を克服するためには自分の精神がいかに機能しているかを深く理解する必要があるでしょう。攻撃性は確かに誰もがもつ防衛本能ですが、ホリー症候群の場合はむしろ、個人的心理的反応が原因で生じることが多いからです。つまり、このタイプが周囲に反撃するのは、自分が攻撃され、脅かされていると”感じた”瞬間のですが、それは実際に攻撃されているかどうかとは関係ありません。外部からの刺激に対して穏やかに反応できるようになるかどうかは、攻撃的な態度の本当の原因となっている恐れや過敏に反応してしまう状況を本人が自覚しているかどうかにかかっているのです。

原則的には誰もが、相手を敵と思わず、相手の行為を死活にかかわる脅威と見ずに原始的な争いの次元を超えて、人類愛レベルで考え、そうした価値を身につけることができます。誰にも自分を守らざるを得ない限界がありますが、それは個人の精神的高さと生まれつきの素質に大きく依存しているといえるでしょう。